きっかけは、ほんの些細な事で。
 んでもって、その後は一気だった。



[[[硝子詰頑星...obstinacy]]]

 

「なんだと!?」
「ただの冗談じゃないか!!」
「喚くなよ、うるせェなー!」
「先に怒鳴ったのはシリウス、君だろう!?」
「知るかッ。ったく、冗談でも、言っていい事と悪い事の区別もつかねーのかよっ?」
「…へぇ?
 タダのジョークを真に受けるなんて、ココロの狭い奴だなあ? オイ」
「フン、虚仮にしやがって」
「お前だって僕を蔑ろにしてるだろ!」
「してねーよ!!」
「いいや、した!」
「あーもーわかったよ…お前ウゼェよ、ジェームズ」


 ―その一言が、決定的だった、らしい。
 杖を抜いたのはジェームズが先だったが、呪いを完成させるのはシリウスの方が僅かに早かった。




【ob-sti-na-cy】
名詞:1[通例けなして]頑固さ、頑迷さ;強情
2執拗な言行
3(病気の)しつこいさま、難治




 ホグワーツの医務室には、今日も常連さんが顔を揃えていた。

 ただし、様子は普段とは少し違うが。

「…うわ、二人とも、男前……」

 どうやら例の二人組が派手にやりあったらしいという噂を聞きつけ、見物に来たリーマス・ルーピンは鳶色の目を丸くした。まじまじともう一度友人たちの有様を眺め回し、ため息をつく。

 シリウス・ブラックは唇の端を切っている上、左腕の間接が全て裏返っていた。

 ジェームズ・ポッターは、右足をロバの足に変えられている上、すっぴんだった。どうやら眼鏡を割られたようだ。

 お互い不貞腐れた表情で、大人しく手当てを受けている。

「……で、どっちが悪いの?」

「「コイツ」」

 同時に相手を指差し、心外そうに顔を背け合う。

「ねぇ、原因は何なの?」

 ピーターが遠慮がちに尋ねる。

「「忘れた」」

 見事にはもった声に、ピーター・ペティグリューは呆気にとられ、答えた本人達はまたも嫌そうに視線を逸らし合い、リーマス・J・ルーピンは頭を抱えた。

「まあまあ、怪我の絶えない二人だこと!」

 そんな微妙な雰囲気をものともせず、マダムポンフリーは何処か楽しそうにせっせと消毒薬を塗りたくり、魔法をかけてシリウスの間接を元通りにし、ジェームズの足を人間の足に戻した。
 その間も二人は終始沈黙を貫き、どんな酷い傷に沁みると不評のポンフリー特製塗り薬をゴシゴシやられても、呻きひとつ出さなかった。
 仕舞には、ピーターやリーマスは本気で感心してしまった程だ。

「とりあえず、これでよろしい。
 …でも二人とも、いいですか? この怪我が治りきる前にまた喧嘩しては駄目ですよ?」

「「…………」」

「わかりました。喧嘩はしてもかまいませんから、怪我はしないようになさいね!!」

「気をつけまーす」
「…世話、おかけしました」

 返事だけは優等生の彼らは、ほぼ同時に椅子から降りて、相対する。
 灰色の瞳とハシバミ色の瞳。絡んだ視線の激しさは、甲乙つけ難い。

「「言い忘れていたことがある」」

 三度重なる声に、眉間の皺が深くなってゆく。

「お前から先に言えよ」
「シリウスからどうぞ」
「俺が言えってんだよ。オラ言え」
「君、もう少し言葉遣いに注意すべきなんじゃないの?」

「……ああ?」

 このまま放っておくとまた殴り合いどころか呪い合いに突入しかねない。リーマスが慌てて止めに入った。

「ね、二人同時に言ったら?」

 咄嗟に気の利いた事も浮かばず、適当な事を言ってみる。
 それでも、おそらく怒りのためだろう。いつもより判断力の低下している二人はそれもそうだと頷いて、実行に移した。

「「半径1メートル以内に近づくな」」

 ピーターはオロオロし、リーマスはゲッソリし、マダムポンフリーはそんな彼らを微笑ましげに眺めている。

「「絶交だ」」

 君達は一体何歳なんだいと、問う気力もなくリーマスは頭痛と戦っていた。



















 奇妙な状況が続いていた。

 グリフィンドール寮の悪戯っ子4人組のうち二人は、互いの存在を完全に無視しようと努めていた。いつもならくっついて歩く黒いクシャクシャ頭と、同じく黒いさらさらの髪の頭の間には、鳶色のふわふわした頭と、短く刈り込まれた玉葱の皮色の頭が挟まっていた。
 4人横に並んで歩けない細い廊下では、正確に1メートル離れて歩く二人の後ろで、リーマスとピーターはまだやってるよ…と顔を見合わせるのだった。

 無視しようと努めていても、彼らがお互いを意識しまくっているのは誰の目にも明らかだ。

 つまり、所謂絶交宣言を交わした後でも、物理的距離が広がっただけで、彼らは常に行動を共にし、目を見ず、声を発さずとも、気配の端々で敵意と悪意をぶつけあっていた。

 シリウスは、明らかに不機嫌に。
 ジェームズは、冷たいほど無表情に。

 その顔に、丸いレンズの眼鏡は戻ってきてはいなかった。
 激昂したシリウスの魔法で、木端微塵になってしまったらしい。原子レベルで粉々になってしまったそれを修理するのは、幾ら何でも不可能だった。魔法は万能ではない。
 そんな事も、この冷戦状態の一因になっているに違いない。

 驚いた事にというべきか、むしろ当然なのか、眼鏡の無いジェームズの顔は、普段の朗らかさからは少し想像がつかないくらい酷薄だった。
 それには、今現在の状況の影響というものも多く含まれているのだろうが、どうやらあの丸縁眼鏡は、はっきりと眦のきつく吊り上った鋭い視線を和らげる効果を持っていたらしい。

 色を失くした冷ややかなジェームズ・ポッターの一瞥は、相手を凍りつかせる威力があった。

 そんなわけで、彼らが行くところは、とばっちりを受けては大変、と危険を感じた生徒達がまるでモーゼの渡る紅海の如く次々と道をあけ、一種異様な雰囲気に包まれた。








 

 



 勿論、そういった状況が長く続く訳がない。
 先ず一番先に音をあげたのはピーターだ。

「リーマス〜…あの二人、何とかしてよォ〜…」

 何とかしてほしいのはこっちの方だよ。

 そう言いたかったのは山々だが、ここでヘロっと本音を出しては、リーマス・J・ルーピンはつとまらない。

「僕も個別に色々言ってみてはいるんだけどね。
 二人とも、『あいつの話は聞きたくない』の一点張りなんだ。…ッッとに強情で……!
 何も、こんなトコまで息ぴったりじゃあなくてもいいのにさ」

 談話室の片隅で、小柄な友人と肩を寄せ合う。
 すぐ傍では件の二人がキッカリ1メートルを置いて斜向かいに座り、それぞれ薬草学とマグル学の宿題を広げている。普段は絶対、こんな時間に談話室で宿題なんかやらない二人なのに。

 そして、やっぱりそこだけ人が避けて通る所為で、ぽっかり穴があいている感じだ。
 ついでに言えば、二人とも全然集中していない。相手の事が気になって仕方ないのだ。

 シリウスは何か書くわけでもないのに、これ見よがしに大げさな鷲羽のペンを弄んでいる。前髪を掻き揚げ、ふとその瞬間視界に飛び込んできた上下逆さまの不可解な文字列に彼は首を傾げた。

 ……コイツが、こんな単純なミスするなんて…。

 気付いてしまえば、もう黙っていられない。自分の手首から肘くらいまである巨大な羽根ペンの先(勿論、インクなんかついていない)で、すぐそこのピーターを突っつく。

 不幸なピーター・ペティグリューは、
「ヒッ」
 と小さく声をあげて、こわごわその羽根ペンの持ち主を見上げた。

 ピーターは、シリウスがほんの少しだけ苦手だった。言葉を飾る事をしない彼が自分にぶつける意見には、時々本気で胸を抉られるような思いをしているのだ。
 しかし、今のジェームズとシリウスなら、シリウスの方がましだった。

 シリウスはちょっと不機嫌なくらいで、まあピーターに対する態度は普段と変わらない。
 問題はジェームズの方だ。眼鏡が無い所為だろうが、突然印象が冷たくなって、まるで知らない人になってしまったような気がしてしまう。

 普段ならこんなことは決して思わないだろうが、自分に話しかけたのがジェームズでなくシリウスで良かったと感じた。

「…んだよ、情けない声出すなよな。まァいいや。それより、伝言だ。
 そこの首席殿に、レポートの右上の方3行目、マグルの発電に関する記述がおかしいぜって伝えてくれよ」

 すぐさま、心の中で前言を撤回することになるが。

 繰り返すが1メートルである。

 わざわざピーターが仲介せずとも、シリウスの言葉は、ジェームズの耳に入っている。
 そして、そのジェームズは、ヘイゼルの目をピーターの方に向け(ただし教科書は開いたまま)、無言でじっと見つめてくるのだ。

 これがイジメでなく、なんなのだろうか。

 助けを求めてリーマスを見遣るが、彼も一応同情的な表情をしてはくれるものの、実際に何か言ってはくれなかった。
 成す術もなく俯いていると、落ち着いた声がかかる。

「ピーター」
 目なんて合わせたくないのに、有無を言わせぬ声音に身体が反応してしまう。一見、穏やかそうに見えない事もない表情の彼と、マトモに視線がかち合った。

 薄い色素の双眸が、すぅっと細まる。

「……何か、僕に言いたいことがあるんじゃないの?」
 はっきり言って、怖い。
「あ…あの、シシシリウス、が…」

「はい、そこまで!!」

 縺れる舌で、何とか『伝言』を伝えようと口を開けば、威勢のいい声に遮られた。ピーターにとっては正に天の助け。

「ジェームズ! シリウスも!! 全然関係ないピーターを巻き込んでどうするのっ。
 リーマスも、見てないで止めてあげなさいよ!!」

 ボリュームたっぷりのチェリーブロンドに、翠の瞳。
 今はその瞳にめいっぱい怒気を漲らせ、リリー・エバンスは目の前でつむじを曲げている男二人を睨みつけた。腰に両手を当て、更にまくしたてる。

「大体、喧嘩するなら他所でやって頂戴!!
 ここで貴方たちがそんな風にいがみ合ってると、周りが迷惑よ。その上、弱いもの苛めなんて、最低だわ!」

「――…なッ!」
 全くピーターを苛めているなどという意識の無かった(ただ、ピーターの心情まで慮っていなかっただけ)シリウスは、抗議しようと開いた口を、リーマスの手により塞がれた。

「ちょーっとシリウスは、黙っていようね」

 君が大声出すと、収拾つかなくなるから。

「〜〜〜!!!!」

 鳶色の髪の少年は言い聞かせる様にそう付け加え、怒ってばたつく身体を確りと抱きこんで役得の味を噛み締める。
 ただ無秩序に暴れているだけなので、結構楽に押さえ込めるのだ。

「―ああ、」

 一方、ピーターを苛めている自覚がしっかりあったジェームズは、レンズ越しではない、ぼやけた彼女の顔になんとか焦点を合わせる。

「うん、今のはやりすぎだったかな、リリーの言う通り。
 迷惑かけて、ゴメン」

 ピーターの声がしていた方に、目を向けて謝る。
 自分の口元に、微笑が広がるのがわかった。

「……ただ、どっかのバカが、僕の眼鏡ダメにしてくれちゃったからね。―それで、よく見えなくて、少しむしゃくしゃしてた」

 リーマスは、腕の中のシリウスが身体を強張らせるのを感じた。




「ちょっと、頭冷やして来るよ」

 静かなジェームズの声とパタンと本を閉じる音。
 椅子が軋んで、立ち上がる気配がする。

「ジェームズ…貴方、そんなに見えてないの? 大丈夫?」

 流石に少し気遣わしげなリリーの声と共に、足音が二人分遠ざかって行く。
 

 澄んだグレイアイズを何かを堪える様にじっと瞠って唇を噛み締めたシリウスを、リーマスとピーターが心配そうに覗き込んだ。

 リーマスが声を出さずに言う。


 ――追わなくて、いいの、と。



























 畜生。


 ぶれる視界に苛立つ。触れようとする中指に、フレームの感触は無い。
 しかし、本当の苛々の原因はそんな事ではなかった。

 ―っとにしぶといんだから。


 意外だとは思わなかった。『彼』は気分屋で、強情で、すぐに目の前の感情に夢中になる人物だ。

 それにしても、今回のは特にひどい。いつもなら、こんなに長引かないのに。
 何故だろうと考えて理由に思い当たる。

 どういう訳か今回に限ってお互い、意地を張り過ぎている。もうとっくに和解してもいい頃なのに。


 ――あいつが、子供っぽ過ぎるんだよ。無視しまくってくれちゃってさ。


 考えて、すぐそれに否を出した。いつもより子供っぽいのは、自分の方かもしれない。彼は普段と変わらない。
 全く、どうかしている。

 もっと冷静にならないとと自戒して、さっきから案じる様な気配で見つめてくる翠の双眸を探した。
 

「そんな顔しなくても、僕ならヘーキさ。ま、生活に困る程見えないわけじゃないし」

 暖かい日差しもだいぶ効力を失って涼しくなってきた中庭まで、二人は来ていた。北西からの風がちょっと冷たい。

「そう? レポート書き間違える程度には不自由してるみたいね」
「痛いトコ突くなぁ。超みっともないじゃないか。
 …そんなとこから見てたんだ?」
「最初からよ。貴方達、自分が目立ってるって自覚はおあり? 気になるし、一応心配にもなるわ」

 珍しくリリーからの嬉しい言葉に、自然と笑みがこぼれる。
「……悪かったよ、有難う」

 彼女相手になら、素直に謝れるのに。

「とりあえず、シリウスと仲直りしなさいよね、首席さん。
 貴方達が仲違いしてると、雰囲気が悪くなって困るの」

 僅かに柳眉を逆立てての厳しい口調とは裏腹に、ピンピンあちこちはねた癖っ毛を優しく撫で付ける。
 ジェームズは擽ったそうにリリーの肩をやんわり押し退け、

「どうやら、早速仲直りとやらの機会に恵まれたみたいだ。
 ……来いよ、シリウス」
「あら」

 柱の影で出るに出られない様子の彼を認め、リリーはジェームズからそっと離れた。

「じゃあ、あとは確りね。…いい? もう喧嘩しちゃダメよ?」
 赤い髪を靡かせて、彼女は城の中へ消えていく。すれ違いざまシリウスの手を軽く叩いて、
「きちんと話し合うのよ」
と、釘をさすのも忘れない。


 1メートル隔てて、視線が交わる。

 リリーが去って行った途端訪れた沈黙と、ジェームズの無表情が痛かった。
 

 決まり悪そうな表情を隠そうともせず、漸くシリウスが口を開く。

「邪魔したみたいだな」

 ハシバミ色の瞳が僅かに見開かれる。どうやら予想外の言葉だったらしい。

「そうでもないさ」
 瞳を閉じ、軽く肩を竦める。
「ただ、…そうだねぇ、珍しい事言ってくれるリリーの表情を見られなかったのは悲しかったなぁ」

「あてこすりやがって。ソレは俺の所為かもしんねーけど、お前の責任もあるんだぞ」
 解り易い程に顔を顰め、シリウスが言う。
 対してジェームズはさも意外そうに眉を上げた。
「へぇ? どこに」

「俺を怒らせた」
「僕だって、怒ってたよ」

「…今も?」
 微妙な過去形に耳を掠められ、こんな時ばかり鋭いシリウスが探る様に親友に問いかける。



「……今は、やっぱオマエの顔がよく見えなくて残念、かな」

 隠した切り札を晒すのは不安だけれど、君になら見せてもかまわないと思う。
 君はいつでも、善意も悪意もなく唯素直に真っ直ぐ受け取めてくれるから。

 自ら折れた学年首席は、それでも瞳の色から内心を読み取られるのを恐れてか僅かに目を伏せた。



「そっか。…これでいいか?」
 距離1メートルから、肩と肩が触れ合う、いつもの間合いに近付くシリウスに、既に屈託は無さそうに見える。

 本当に気分屋だ。
 ジェームズは軽く眉を寄せ尤もらしく渋面を作った。
「まだ、よく見えないな…」
「これならどーだ?」

 無防備に顔が近付いて来る。互いの吐息が肌で感じられる程。
「うーん、もうちょい」
 更に眉間の皺を深め、ジェームズ。困ったようにシリウスが首を傾かせる。

「もう、これ以上は近付けないぜ?」
「近付けるよ」

 目と目を合わせたまま、唇もあわせた。

「こうすれば」

 一瞬で離れていったやわらかな感触を、シリウスが呆気にとられて凝視する。
 ニヤニヤ笑いのカタチに歪められた、ソレを。

「……ジェ〜ムズ〜……」

 低い低い声音と共に振り上げた杖腕は、振り下ろされる対象がシリウス自身に抱きついた事により、空振りした。
 これ以上無いくらい胴を二の腕が締め付けてきて、かなり苦しい。

「おい…」

「僕さぁ…眼鏡なくてよく見えなくて苛々するし、シリウスも口きいてくれなくて淋しいし、色々辛かったんだよ?」
 普段飄々とした相棒の、滅多にない弱々しい語調に戸惑い抵抗を忘れる。
「…だから、なぐさめてよ」
 それも、甘えを含んだ様な訴えを耳にする迄だったが。
 シリウスは自分の肩に乗せられた頭を容赦なくペシリと叩いた。

「―バカか?
 だったらリリーに慰めてもらえよ。好きなんだろ?」

 さっきチャンスだったじゃねぇの、と言っても親友の腕の力は弱まるどころか、益々強くなる一方。

「リリーには、あんまり格好悪いトコ見せたくない」
「俺ならいいってのか?」

「僕達トモダチだろ〜?」




 ジェームズの顔が見えない。
 勿論言葉の真意も見えない。

 冗談言ってら―と笑い飛ばすには、あまりに切実そうに聞こえた。

 ――俺も結構辛かったけれど、こいつもそんな風に思ってたんだって思うと…妙な言い方だが、何か、絆されたカンジ?


「じゃあさ、俺の事もなぐさめてくれよ」
 結構冗談本気ちょっとで言ってみる。

 俺は―甘かった。
 後で冷静に考えれば、その一言が間違いだった。
 

 どうやら、何か思い違いをしていたらしいと気がついた時には、すっかり調子を狂わされた後で、まんまとハメられていた……気がする。

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