ゆらゆらと、水面が揺れる。
ゆらゆらと、波紋が広がる。
乱反射を撒き散らしながら、輪郭はぼやけ、輝く波となり、ついには見えなくなる。
[[[水面の月]]]
「そんなに月が嫌いか?」
からかうようにうっすらと口元を歪め、判りきった事を訊いてくる相手に、シリウスは不機嫌も露な一瞥を遣る。
「ああ、キライだな」
ざらつく石を握り締め、更に水面に投げ込んだ。
とぷん、と間の抜けた音をたてて、石が真っ暗な湖の中へ吸い込まれていく。
「だって、空にあんなのが浮かんでるからさ、あいつは…」
「まだそうと決まったわけじゃないだろう?」
確かにそうだ。まだ、本人に確認してみた訳ではない。だが、彼ら二人が立てた仮説は、今は療養中の母の看病に行っている筈の鳶色の髪の友人の、数々の不審な行動と言動を、論理的に裏付けるものだった。
その仮説が正しければ、頻繁に学校から姿を消す理由も、その度に軽傷とは言い難い傷をあちこちに負っている訳も、あくまで想像の域でだが、合点がいくのだ。
それに……
「今日も、満月、だよな……」
次第に波がおさまって、輪郭を際立たせていく丸い光源を睨みつける。それを壊してしいたい、などと子供っぽく考えながら地面を探った。
そして、すでにその辺りの石は投げつくしてしまった事に気付く。
「ジェームズ、石」
傍らに立つ友人に、手だけ伸ばして催促した。
「おまえなー」
「はやく」
彼は呆れたように何か言いかけたが、諦めたのか、黙って同じように腰を下ろした。暫くゴソゴソする気配があって、すぐに掌に何か堅い物が押し付けられる。
「おい、何だよこれ」
「ハグリッドから貰ったロックケーキ」
頼んだものと違うじゃないか、と脹らませた頬をつねられた。
「そんなにボチャボチャやってたら、大イカが目ェ覚ますだろ?」
とぷん。
「覚ますわけねーよ」
とぷん。
「…うっわ、君、サイアクー! 食い物粗末にすんなよ」
とぷん。
「こんなの、食いモンじゃねー」
とぷん。
「うーん、だな」
とぷん。
「だろ?」
肩を並べて、ひとしきり石を投げまくった。無意味な事をやっているという自覚はあった。
気を紛らわせる為と、考えを纏める為に。
「……なあ、訊いてみないか?」
ゆらめく水面を見つめたまま、沈黙している相手に提案する。
「おまえにしては、随分弱気なんだな」
馬鹿にされたような気がしてきつい視線を水面から相棒に移せば、意外な事に丸いレンズの奥の瞳は、怖いくらい真剣だった。
「いつもの君なら、そんな悠長な事言ってないで、締め上げてるだろ? 隠し事とかしてるとさ」
揶揄する口調。けしかけているようだが、そうではない。
「何? おまえも弱気?」
きつい視線を和らげて覗き込むと、かちりと目が合って、すぐ逸らされる。
穏やかな、鳶色の髪の友人が持っている秘密。秘密がある事すら、隠そうとする態度。
決まっている。隠すのは、知られたくないから。
「も? やっぱ君、弱気なんだ?」
見事な誘導尋問に、白旗を振る。
「事はデリケートだからな」
途端、隣で盛大に吹き出された。
気分を害して、作った拳を側頭部に命中させる。
「いった〜……ッ!」
「その為に殴ったんだから当然だ。俺は真面目に言ってんだぞ?」
「…わかってるよ。た、ただ、シリウスの口から、…でっでりけえと何てゆー単語が飛び出して来るとわ……」
ジェームズはまだ苦しそうに腹を抱えて笑っている。
呆れたのとむかついたのと半々で、友人を置き去りにして立ち上がろうとした瞬間、肩を抑えて引き止められる。
「明日、医務室で動かぬ証拠を突きつけて吊るそーぜ」
新しいイタズラを思いついた時と、同じ表情。
彼は哀れみは好まないだろうから、体に刻まれた傷を尋問のネタにして。その程度の秘密ぐらい、笑い飛ばしてやると。友達の間で、そんな隠し事は許さないと。
そう、リーマス・ルーピンを断罪するのだ。
「おれが反対するとでも?」
とぷん。
「そうこなくっちゃ」
とぷん。
ゆらゆらと、水面が揺れる。
ゆらゆらと、波紋が広がる。
乱反射を撒き散らしながら、輪郭はぼやけ、輝く波となり、ついには見えなくなる。
月を空から消し去る魔法は、ホグワーツでも教えてくれない。
しかし、あの鳶色の瞳から真実を引き出し、友を救うのに、魔法なんて必要ない。
ちょっと石を投げ込めば、わだかまりは、水面の月の如くあっさり揺らいで消えるだろう。
そう思いたいだけかもしれない。
ただ思い悩むだけでは前へは進めない。
彼と云う心に映った虚像の月を破壊する為の、見えない一石を手にして彼らは静かに眼差しを交し合う。
明日の朝が待ち遠しかった。
[[[水面の月]]]