葛藤[かっ-とう](葛や藤のつるがもつれからむことから)
(1)もつれ。いざこざ。悶着。争い。
(2)[心]心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態。
[[[葛の蔦藤の花=Conflict]]]
湖のほとりは、彼らのお気に入りの場所だ。
いつもお互いの肩に顔をこすりつけるようにして、何か新しいイタズラの計画を楽しげに打ち明け合うその姿を、すぐにだって思い浮かべる事が出来る。
でも今は自分一人だ。彼らと僕が好きなこの場所には、自分一人だ。
引率の教師に変な我侭など言わず、素直に医務室に直行すればよかった。
「……痛」
思い出したように、腕の傷が疼く。
朝日の白い光に効力を無くした月を見るもの怖くて、息を吐いて目を閉じた。瞼の裏に広がる、此処に存在した君の残像。
あいつを思いっきり困らせてやったと得意気に笑っていた。
上手に靴紐をを結べないのをからかわれて拗ねていた。
脳裏に焼きつくその姿を、決して忘れてしまわないように、大切に大切に再現していく。君のいた、そしてこれからも訪れるであろうこの場所で。
正体を知られてしまえば、きっと彼らは……君は、僕から離れていくだろうから。
僕が微笑めば、簡単に信じ込む君を騙すのはひどく容易く、そしてそれだけに苦痛だった。それに、君はともかく、もうとっくに彼は気付いてる。
絶縁を言い渡されていないのが、全く不思議だと自嘲的に思う。
それとも、君も気付いてる?
向けられるちょっと大人びた皮肉っぽい笑顔に、憐憫の色はなかったか。
光が差した時、イタズラが成功した時、キラリと煌めく灰色の瞳に蔑みの色はなかったか。
考えるほどに不安になるけれど、幸か不幸か記憶の中の君は、そんな感情とは無縁そうで。
安心する反面、さらに気鬱な気分になってくる。
罪悪感を感じている。
君に出会えたヨロコビと、君に本当の自分を見せられない後ろめたさが、たいして広くも無い心の中でせめぎあっている。
君に何もかも打ち明けてしまいたい。
君にだけは知られたくない。
そのどちらも、嘘偽り無い本音。
カサリという物音に瞼を開ければ、真っ先に空に残った星が視界に飛び込んできた。夜明けに瞬くこの星は、君の名前を持つあの星ではないけれど。
淡くて、でも強い、光に引き寄せられる。
「リーマス」
瞬間、とってかわった姿に目を奪われた。
「何してんだよ? こんなトコで……お前、傷だらけじゃねーか!」
こんな朝早くこんな所で君こそ何してるの?
とか、
そんなにあちこち触ったら、服に血がついちゃうよ?
とか、
そんな事以前に、何故だかひどく――ひどくほっとして、自然に笑みが溢れてくる。別に笑おうとも何ともしていないのに。
…………ああ、これは……、
「リーマス? なぁ、大丈夫なのか? なぁ、おい。何笑ってるんだ?」
なかなか返事を返さない僕に焦れたのか、シリウスの声が苛つき始める。
でも、怒ってるのは声だけで。君のその顔には、大きく心配だと書いてあって。
それが、たまらなく――
「嬉しいな、心配してくれてるんだ?」
甘やかな感情に支配されるまま、こみ上げる笑いと共に問い返すと、一瞬虚を突かれたように目を見開いた君は当たり前だろ、と荒っぽく腕を掴んできた。
腕に走る痛み。胸に走る痛み。
「……痛っ」
「わっ、悪ィ!!
って、お前、こっちは杖腕じゃないか、何こんなトコ怪我してるんだよッ!?」
わめく君の声がとても心地よかった。
君を安心させたい。君に心配されたい。
君に笑って欲しい。君に怒って欲しい。
君に知って欲しい。君に知られたくない。
僕という狼人間は、全くもって矛盾だらけだ。
「大丈夫さ。すぐ治るよ。…シリウス?」
俯いて何かやっていたと思ったら、急に途方に暮れたような視線がぶつけられた。
「何? どうしたの?」
「………ほどけなくなった…」
決まり悪そうに言って、不機嫌なふりをして顔を背ける。その尖った顎の下に、マントの紐の結び目が変な形でぶら下っていた。
「じっとしてて」
結び目に手を伸ばし、丁寧に解いていく。指にかかる君の吐息に、心拍数がほんの少し上がった。
「あ、それでいーから」
きれいに解き終わって、また結びなおそうとした瞬間、本人からの静止が入る。
何で?と訊く間もなく、ふわり、とぬくもりに包まれた。
「こんなに冷たくなりやがって…マントも着ないで何やってんだか」
その声音に、非難する響きはあっても、本気で訝しむような様子はなくて、僕は知ってしまった。
――君は、気付いてたんだね。そうなんだろう?
でも、知らないふりしているらしい。
ある意味当然なのかもしれない。
知っていて知らないふりで優しくしてくれるのは、嬉しいけれど実に卑怯だと思う。いつか必ず離れていく相手を前に、突き放す事も寄り掛かる事も出来ない。
そのくせ、君の卑怯さが心底有難いのだ。
「いいよ。僕が使うと、シリウスが寒いでしょ。」
「寒くねーよ」
ここで、派手なくしゃみがひとつ。
「じゃあ二人で使おうか」
返事を待たずに、君を無理矢理引っ張り込む。一瞬強張った腕が注意深く振りほどかれて、マントの端を掴んだ。
やっぱり怖いんだ。当然かな。
でも、君よりもっと卑怯な僕は、こんな訊き方しかできない。
「ねぇ、どうしてこんな朝早く、こんな所にいるの?」
「……それは、…っ」
君は言い返せない。
お前は? と訊き返せば、僕が困るのを知っているから。だからと言って、本当の事も言えないんだろうね。
自分が知っていることを僕が知ってしまうと恐れているから。
人狼の僕は、無かった事にしてくれるつもりなんだね。
やさしい君。やさしすぎる君。
君の優しさは、本当は単に卑怯なだけで、ちっともやさしくなんかない。
そう考えた僕は、少しだけ凶暴な気分になった。
君を、もっと困らせたい。
温かい身体をを引き寄せて、綺麗な曲線を描く耳に唇を寄せる。
「何してんだ、リーマス」
白い眉間に浅く皺が寄り抗議の声があがるけれど、聞き入れてなんかやらない。
自分の首を絞める言葉と一緒に、君を追い詰めるコトバを唱える。
「シリウスこそ、こんな所で何してたのさ?」
僕がこれ以上卑怯者にならないように、上手に言い訳して欲しいな。
[[[Conflict]]]
コンフリクト(Conflict)は和訳すると葛藤。
特に、一つの目標が正と負の誘因性を持っているapproach-avoidance
conflictは、
正の誘因性を持つ目標に近付くにつれ、負の誘因性が増大する。
(接近-回避型)
接近傾向と回避傾向とのバランスのとれた位置で立ち往生する。
最も解決が困難な悩みとなる。
コンフリクトから抜け出すことができない場合には
情動的な緊張が持続し、事態も進展しません。